半世紀を生きてきて、
世間では「おばさん」の域に達している年齢です。
それに、娘が一児の母になり、私は「おばあちゃん」の呼称が付きました。
2年前には婦人科の器官を切除して、
いわゆる「更年期障害」come on!となりました。
でも、もう閉経になりつつある段階でしたし、
これまで、このブログで綴っていたように、
私の不定愁訴は40代から始まっていましたので、
更年期障害と言うものは、過ぎてきてしまったのかも知れませんね。
性別に「女」に ○をするのは、当然ですが、
女性らしさと言うのは、意識をしないと、ちょっと雑になってしまいますね。
振る舞いや言葉遣い、恥じらいや奥ゆかしさ・・・
私は「かわいい」と言う形容が好きで、
持ち物や装飾、スタイルにも、それを求める傾向があります。
年甲斐もなく、かわいい。と言うのに多少、抵抗も感じながら、
でも、かわいさは生きている限り、こだわりたいな♡と思っています。
世の中には、幾通りも考え方の異なる人たちがいて、
男女の係わりにも、各々価値観が違います。
●適齢期に結婚をして、夫婦を続けているペア
●生涯独身で、パートナーを求めない人
●適齢期に結婚をし、その後シングルになり、パートナーがいる人
●シングルの人で、パートナーと巡り合っていないけれど求めている人
●夫婦の形を持ちながら、別のパートナーを求め、またはそのペア
もっと、もっと、色々なスタイルがあるんだと思います。
そして、その関わり合いにおいても、
互いに求めているもの、望んでいるもが違うものですね。
若い人には、熟年の恋愛が理解できないものに見えるかも知れません。
以前、新聞の投稿欄に、高齢者同士が結婚することへの違和感。
そういうテーマの記事があり、
なぜ、その年齢になって、結婚なんだろうか?と言う大多数の意見でした。
私は結婚を望む当人同士、純粋な愛情を持ち合っているのだろうと思いました。
結婚という行為は責任であったり、証明であったり、誓いであったりします。
法律関係が絡んでくると、ちょっと生臭い話に展開しますが、
それを省けば、お互いの愛の証なんじゃないかと思ったりします。
現実はどうなのかは、わかりませんが・・・、
人は、ひとりで生きていかなくちゃいけないけれど、
それでは寂しいから、相手を求めると、
瀬戸内寂聴さんが仰っていたのを聞きました。
ひとりで生きていくことは原則だけれども、
寂しさや心許無さや物足りなさを解消したり、
生きる喜びを確認するために、パートナーが必要だと思います。
そのパートナーと活き活きと過ごせるためには、
お互いに失せない魅力を持続させる意識や努力は必要ですね。
いくつになっても相手に恋をさせる魅力を持つこと。
女性として生まれたのだから、その特性を失わずに
いつまでも、かわいらしく暮らしたいものです。
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